人生を導いたラグビーという原点
OB 角博インタビュー
筑紫丘高校ラグビーがくれた人生の宝物
33回卒 角 博(旧姓:矢ヶ部 博)
(早稲田大学ラグビー部第67代主将、九州木材工業(株)代表取締役、筑紫丘高校ラグビー部OBOG会会長)
※写真 花園初出場1回戦
対国学院久我山高校(前年度優勝校)

ラグビーを始めた時期・きっかけは?
小学校はサッカー・野球、大利中時代はバスケ部でした。高校では違うスポーツをやりたいと思い、新入生の時にふと運動場に目をやると、ラグビー部が広いグラウンドでランパスをしていました。
その姿がとても楽しそうだったので、同じ大利中バスケ部3人でラグビー部に入りました。その3人の中には後に俳優となった池田成志君がいました。また小中同級生だった、後に落語家となる橘家圓太郎(鵜野英一郎)君も誘って入りました。
高校時代一番の思い出は?
2年生の時にラグビーの福岡県大会決勝で福岡高校に 50 点近く差をつけて優勝し、筑高ラグビー部で初めて花園(全国大会)に出場したことですね。
しかも花園では前年度全国大会優勝チームである国学院久我山高校と 1 回戦で当たり、トライ数4 本 1 本で敗れはしましたが後半は同点でした。その年は久我山は準優勝でしたし、誇りに思います。
もう 1 つの思い出というか誇りはその久我山にスクラムで押し負けなかったことです。
実は2年生の夏までフランカーだったんですが、フロント(1 番)の 3 年生の先輩が突然退部したのでそこからフロントの一番になったんですよ。
それでもその花園でレギュラーで出場させてもらい、スクラムで押し負けなかった。
これも誇りですね。
卒業して、改めてラグビーへの思いは?
3年の最後の大会で修猷館高校に準決勝で負けた後、早稲田に行ってラグビーがしたいと強く思うようになり、必死に勉強しました。
その甲斐あって現役で早稲田大学に合格。
体育会ラグビー部では大学2年時の立教大学戦で対抗戦デビュー、4年時には第 67代早稲田大学ラグビー部主将に就任しました。
大学4年最後の試合は当時の平尾誠二、大八木淳史率いる同志社大学に大学選手権準決勝で敗れ、ラグビー現役生活を終えました。
大学を卒業して東京海上火災保険に入社し、福岡勤務時代から筑紫丘高校ラグビーの練習に参加。
そこから35年以上、母校ラグビー部の発展のため恩返しをしようとコーチ、OBOG会会長として携わっております。

※ボールを持ってアタックしているのが著者
“あなた”へのメッセージ
「筑高ラグビー」という「人生の宝物」を、その手に。
現役生・新入生の皆さん、そして保護者の皆様。
私は今、グループ会社300人の社員とその家族の人生を預かる経営をしています。
東京海上を経て、40歳で経営者となった私の「土台」にあるのは、間違いなく筑紫丘でのラグビー部時代です。
なぜ、ラグビーなのか。
それは、お互いの痛み、流した汗、そして涙の価値を分かち合った者だけがなれる「真の仲間」ができるからです。
「One for All, All for One」「ノーサイドの精神」。
この言葉は、ビジネスの現場でこそ真価を発揮します。
ラグビーをやっていたというだけで、初対面でも一瞬で信頼の絆が結ばれる。
国立競技場を手掛けた隈研吾建築都市設計事務所との仕事や、世界遺産・厳島神社の修繕といった大きなご縁も、すべてはラグビーが繋いでくれたものです。
上手い下手は関係ありません。
「筑紫丘という進学校で、ラグビーをやり抜いた」
この圧倒的なブランド力と経験が重なったとき、あなたの人生には、何物にも代えがたい「一生モノの武器」が備わります。
きつい練習、ぶつかり合う痛み。
それを乗り越えた3年間は、あなたが将来、どんな困難に直面しても「俺は筑高ラグビー部だったんだ」と胸を張れる最強の自信になるはずです。
このグラウンドで、一生の宝物を手に入れませんか。

※ボールを持ってアタックしているのが著者
