ラガーマンシップ”こそ宝!
OB 朔慶典インタビュー

筑紫丘高校ラグビーがくれた人生の宝物

高32回卒 朔 慶典
(UBS証券株式会社 投資銀行本部 会長)

ラグビーを始めた時期・きっかけは?

ラグビー始めたのは筑紫丘に入ってからでした。春日中学時代はバスケットボールをやっていました。県大会の凖決勝まで行きそれなりに強かったです。

なんでラグビーやりたいと思ったかは、あまり覚えていませんが、自分の体格や身体能力でも、できるポジションがあるのではと思ったこと、屋外でやるスポーツがやってみたかったこと、位かなと思います。ただ、中学校の卒業文集には、「高校ではラグビーやりたい」と書いているので、入学前から決めていたみたいです。。。

実は、中学時代のバスケットの試合で、大利中の一年下のセンターでやたら上手いヤツがいたのですが、そいつが矢ヶ部君(現 角OBOG会長)でした。彼は覚えているかどうか解りませんが、新一年生の彼らに西鉄のどこかの駅のホームで偶然再会し、ラグビー部への入部勧誘をしたのは、この私です。私が声をかけなくても矢ヶ部君は入部したのかもしれませんが、、、 個人的には、朔の筑紫丘高校ラグビー部への最大の貢献は矢ヶ部君を入部させたことではないかと思っています!

高校時代一番の思い出は?

筑紫丘として、初めて花園に行ったことです。
それと、そこにたどり着くまでの全ての過程と関わった人達です。
「32回生は初めて全国大会に行った代」と言ってもらいますが、今、改めて思い返してみると、我々だけでたどり着けた道のりでは、到底ありませんでした。
何か一つ、誰か一人、欠けても我々の1979年は違ったものであったと思います。

私の原点は、当時、優勝候補の一番手と言われていた30回生が県大会で八女工業に負けた試合でした。一年生としてその試合を見ていた私は、大きな衝撃を受け、はじめて、“花園”を現実として意識しました。一年上の31回生の多くが夏の大会で引退されたので、32回生は2年生からレギュラーのポジションでプレーすることが出来た人が多かったです。実戦経験を積めたことは大きかったと思います。我々が新人戦で優勝した後は、白木先輩以下多くのOBの皆さんが練習に参加されるようになりました。

門田先生の導きも大きかったです。九電や福大への出稽古、灼熱の宮崎合宿。
全日本の現役であった釜石の森さんや九電の南川さんの1日コーチ。
父兄の理解とサポートを得るために、先生肝いりで父母の会も結成されました。

また、退部者や怪我人の代わりに、自分の本来のポジションではなくとも(矢ヶ部君のプロップはその最たるものですが)、素晴らしいプレーをしてくれた33回生、34回生。
そして、32回生の仲間です。一期一会という言葉を人生で初めて意識した仲間です。
良くぞ、同じ年に生まれ、同じ高校に入り、同じラグビー部に入ったものだと思います。 

1979年11月 全国大会福岡県予選優勝
前列右から2人目が筆者

卒業して、改めてラグビーへの思いは?

3年浪人した後、1983年に英国ケント大学へ進みました。勿論ラグビーやりました。最初は、「この小っこい東洋人はラグビー知っているのか?」みたいな目で見られていましたが、入部初日の組み分けセレクションで、筑紫丘の硬いグラウンドで鍛えたセービングとタックルをふかふかの芝のピッチで見せた途端に、即決で一本目候補となりました。英語がつたなかった私をラグビー部の仲間が、授業でも遊びでも徹底して助けてくれました。彼らなしでは卒業出来なかったと思います。常時レギュラー定着とはいきませんでしたが、最終学年では、全国大学選手権の英国南部地区準決勝まで行きました。

社会人として数年たった1993年に日系証券会社のロンドン支店勤務となり、ロンドン・ジャパニーズというクラブチームで、またラグビー始めました。奇しくも、1979年に、当時住友銀行のロンドン駐在だった宿沢さんたちが作ったクラブです。日本のラグビー関係者のロンドンのハブとして、転勤、留学、旅行等で日本から誰か来ると、ナショナルレベルから同好会まで、来たい人は誰でも練習や試合に参加してもらいました。英国国会議員チームが来日した際に日本の国会議員チームとの試合のアレンジと助っ人をしたこともあります。

40年近く、証券/投資銀行の仕事をしていますが、国内外を問わず、お客様や交渉相手など、ビジネスの現場で初めてあった人でも、ラグビーをやっていたもの同士の“信頼”は確実にあると思います。

また、ラグビーつながりで、それまで会えなかった人に会えたり、対戦相手の高校(大分舞鶴や福高、修猷館)、大学、クラブチームのメンバーと数十年ぶりに再開もしました。

実は今でも、修猷館、福高、筑紫丘の同期で“三校会”を持ちまわりでやっています。 ラグビーを通じて結ばれた友情はずっと続いています。

1988年3月 英国大学選手権南部予選を戦ったUniversity of Kentのチーム 前列左から2人目が筆者
2004年2月 London Japanese RFCの在東京OBチーム 前列右から2人目が筆者、後列左から4人目は元日本代表No.8林さん

“あなた”へのメッセージ

まず、なぜラグビーか?

体格や身体能力がちがう人が活躍できるポジションが、これほどたくさんあるスポーツは他にありません。しかも、プレーの展開によって、ロックでもキックを蹴り、プロップでもクイックパスを出し、ウイングでもモールに突っ込んでいく、これほど臨機応変な判断とプレーを求められるスポーツも他にありません。

様々な生い立ち、能力、性格の人間が15人集ると、それはもう実社会の縮図です。

では、どうやったら、この15人がまとまり、チーム/組織として最大の力を発揮できるのでしょうか?

私は、筑紫丘高校ラグビー部で受けた薫陶にこそ、そのエッセンスがあると思います。

まぁ、薫陶というより、実際には監督、OBコーチ、先輩の皆さんから、四六時中掛けられた以下のいくつかの“言葉”です。

具体的には、

1.走り勝て、あたり勝て、タックルし勝て!

2.プレーで返さんか! 

3.ちゃんと見らんか! 声ださんか! あたらんか! それで終わりか! パスせんか! 

4.自分で笛吹くな!

5.熱き心、冷たき頭、強き体を持て。(これは当時の校長先生の言葉ですが,、、)

と、これだけ聞くと、 “今では言ってはいけない昭和の言葉集”のようですが、然に非ず。

その後の私の生き方の土台ともなっている

“スポーツマンシップ”ならぬ“ラガーマンシップ”(ラガーマンは和製英語、ラガーマンシップは朔の勝手な造語ですが、、、)

とも言うべき人としてのあり方の基になっている数々の言葉です。

1.走り勝て、あたり勝て、タックルし勝て!

体格や経験で劣る場合、最後まで走り勝つことで、あたり勝ち、タックルし勝つ。そして試合に勝つ。

何かで劣るのであれば、それを凌駕する何かをつかむことで、前に進める。

そして、その何かはトレーニング/努力で手に入れることが出来得る。

エディーJapan の戦略と同じことを45年前に門田先生は考えておられました。

2.プレーで返さんか!

どんなにファールされても、ファールし返さず(モールやラックの中でも)、ルールのなかで、フェアプレーで相手をねじ伏せる。相手がファールする事がばかばかしくなる位にハードなプレーをする。

3.ちゃんと見らんか! 声出さんか! 当たらんか! それで終わりか! パスせんか!

周りを見て状況を把握し判断する、しっかりとコミュニケーション取る、自分の役割を認識し実行する、限界Maxまで突き進む、でも自分一人だけでできると思わずに、チームメートを信じ託す。

4.自分で勝手に笛吹くな!

レフリーが笛吹くまで、プレーを止めない。状況判断とジャッジは別。

それから、“もうここが限界”、“もう時間がない”と自分で勝手に諦めない。

自分が諦めたら、全てはそこで終わる。ラストワンプレイを信じ、全力を尽くす。

5.熱き心、冷たき頭、強き体 を持て。

情熱を燃やし、冷静に考え、そしてlast man standing たりえる強靭な体を持つ。

Rugbyすると言うことは、正にこの3つを培うことに他ならないです。

大学に進み、社会に出て、かなり時間が経ちました。

その間いろいろな困難に出会うこともあるわけですが、そんな時に、「あの夏の合宿に比べたら、、、」とか「有田ダッシに比べたら、、、」とか、実は、一度も思った事はありません。

ただ、、、、

決してあきらめてない自分、

冷静にチーム内での役割を考え、違ったアングル何かできないかを考えている自分、

ほかの人が疲れて、メンタル、フィジカルで、へばっているのに、まだまだ大丈夫な自分、に気づく時はあります。

さぁ、これを読んでくれた諸君! 

筑紫丘で“ラガーマンシップ”を培い、 仲間と一緒に進んでください!

2026年4月 企業向け金融市場セミナーで講演する筆者